2020年の終わりを見つめて
2020年の終わりが迫ってきた今、嵐のファンとして抱いている想いを一度文章にしておこうと考え、このブログを書き始めました。
もし、読んでいるうちに少しでも違和感を抱いたり不快感を覚えられたのなら、そのままブラウザバックしてください。きっとその方がお互いにとっていいはずです。
ただの自分語り、と言うか日記のようなものです。まぁブログってそういうもんでしょ…なんて言い訳のように開き直って書いてます。
2019年1月27日、あの日受けた衝撃と絶望はこれから先も絶対に忘れられないと思います。
ざわつくSNSを見て、きっと何かの間違いだ、そんなことがあるはずがない。全て嘘だと言ってくれる筈だ、と藁にもすがる思いでFC動画を開きました。
5人が何の話をしてるのか全く分からなかった。嘘、理解したくなかった。
ただただパニックになって泣き喚くしかその時の私にはできませんでした。
どうしていいか分からず友達に電話をかけて。ずっと「なんで?」「どうして?」を繰り返していたように思います。
悪意の有無に関わらず、嵐の話題が溢れる世間に溺れ、所詮”外野”にすぎない人たちの大きな声に傷つき振り回され、疲弊しきっていました。
それでもなんとか5人の言葉だけをすくい上げ、その言葉だけを信じようとしました。
ところ構わず号泣するような悲しみ方をしなくなった頃(そうは言ってもふとした瞬間静かに泣き出すことはあった)
"「2020年のケツ、12月31日の23時59分まで精一杯走り抜けます」「風速を上げていくぞ」と語ってくれた彼らに、私も精一杯ついていこう。"
"この2年間は、嵐のことだけを考えて、嵐のことだけを見つめて、一日一日を大切に、丁寧に過ごそう。"
そう固く決意しました。
あの日からたくさん考えました。私にとっての嵐ってなんだろう、そもそも嵐ってなんなんだろう、アイドルって、ジャニーズって、人生って……色んなことを考えました。(書き殴ったメモがたくさん残ってます。また何かのタイミングで誰か読んでください)
感情の浮き沈みの激しい毎日を送りながら、何でもない瞬間にどうしようもなく辛くなったり、コロコロと変わる自分の感じ方に絶望したりしながらも必死に自分なりの答えを見つけようとしました。
そんな中で、新たな出会いもありました。
時とともに自分も周りも歳をとるし、それなりに価値観も変わってくる。
だからこそ、その姿を重ねて共通点を数えることは無粋だと思っています。
それでもやっぱりどこか似ているところがあったのだと思います。
雰囲気なのか、アイドルとしての在り方なのか、どこまでも誠実で真っ直ぐなその姿なのか。
少なくとも私の日々に彩りを持たせてくれる存在であることは間違いありませんでした。
「最近Snow Manが気になる」
"好きなんだよね"とはどうしても言えませんでした。(めちゃくちゃ失礼な話だけど)
その言葉を口に出すことは5人に対する一種の裏切り行為なのかもしれない。きっとそんな思いがあったのだと思います。
でも今思えばそれはつまらない意地でしかなく、長年嵐が好きだと言い続けてきた自分の体裁を守るためだったのかもしれません。
9人のことが気になるんだ。と、人に話すには大きな勇気が必要でした。
けれど何かのタイミングでぽろりとそう呟いた時、こんな言葉が返ってきました。
「そうだよね、2021年以降のために好きな人つくっとかなあかんもんね」
その言葉がとても心に刺さりました。
5人のことを身近に感じられなくなるから。
だからその代わりに9人のことを好きになろうだなんて、そんな打算的な感情で彼らのことを好きになったわけじゃない。
他の何かでその穴を埋められるような、私が5人のことを思う気持ちはそんな軽いものじゃない。何も知らないくせに無責任なこと言うな。
頭の中はそんな醜い感情でいっぱいでした。
アイドルを好きになる、って自分の価値観だったり生き方、置かれている状況、あるいは好みの顔、歌声、ダンス…とか色んな要因が組み合わさって成立する、ある意味運命的で瞬間的な出会いだと思う。
私の場合、その要因の一つに、「受け入れ難い事実から目を逸らした現実逃避」という要素があったのかもしれない。
たしかにそれは否定できない。
だけど、嵐の代替物(言い方が全然よくない)として9人のことを好きになったなんてことは絶対にない。彼らが魅力的だったから好きになった。
でも、
あの時決意したように嵐のことだけを考えて日々を過ごすことができなくなっているのは紛う事ない事実。私は嵐のファンです、私はSnow Manのファンです、と言ってもいいのだろうか。そんな風に感じていました。
嵐のファンであることがもうずっと自分のアイデンティティの一つになっている私にとって、その思いは恐怖以外の何物でもありませんでした。
だから必死に自分の気持ちに蓋をしようとした時期もありました。
けど結論から言ってしまうとできなかった。
自分のことは自分が一番よく分かっています。
9人のことが大好きだし本気で応援しているのにいつもどこか罪悪感のようなものを感じていたように思います。
そんな中がらりと生活様式が変わりました。
コロナ禍で必然と家にいる事が多くなり、鬱々とした気持ちを抱え、独りで考え込む時間が増えました。
一度は受け入れかけていた2021年以降のことを考えどうしようもなく辛くなったり、やっぱり見て見ぬ振りをしてきただけで自分の中で全然消化できていないことに気がつき涙を流すこともありました。
そんな時でした。
3月30日のCDTV
この事について書くかどうか悩んだけれど自分の中で大きなきっかけになったことは嘘偽りない事実だから。
あの日、5人が登場するまでにもう既に私の感情はめちゃくちゃで、ボロボロで、泣きながらテレビの前にいました。
あの日の5人のパフォーマンスのテーマは
「今、嵐にしか出来ないこと」
そのテーマが発表された時、安心感と誇らしさと優しさと少しの寂しさと、色んな感情でごちゃ混ぜになりました。
未知のウイルスで世界中が混乱して、今までと同じような生活が出来なくなって。人とも会えず家にいる時間も増え、未来が見えず誰しもが不安でいっぱいの生活を送っている、そんな中で久しぶりの音楽番組。
そんな状況で。そんな状況だからこそ
「嵐に"しか"できないこと」
そのテーマがどうしようもなく響いて、その一言に涙がボロボロ止まらなかった。
One Love:Rebornから始まったあのパフォーマンス。
イントロが流れてきた瞬間にあぁ、、と。
張り詰めていたものがふっとほどけていく感覚がしました。
今でもはっきり覚えてます。カイトが終わってLove So Sweetが始まるとき
潤くんの「今から明るい曲やるよ」という言葉。
あの瞬間限界まで泣きじゃくりました。
私が松本潤のファンだという事もあるかもしれないけれど、あの瞬間テレビを見ていた人たちは間違いなく明るい気持ちになれた。
たった一言だけどそう確信できるほどに力強い言葉でした。
Love So Sweetの歌詞を
「明けない夜はない。二重否定は強い肯定ですから」
SONGSでそう語った翔くん。必ず夜は明ける。色々なことが重なって先の見えない不安の真っ只中にいた私にとって、その言葉は何よりも力強いものでした。でもきっとその歌詞に支えられたのは私だけじゃないはず。
メドレーの最後、Happiness
「これが僕ら嵐にできることなんです。だから今日ぐらいはちょっと嫌なことはもう置いといてまだまだ歌いませんか」
にののそんな言葉。
この煽りってやっぱり嵐だから言えることで、嵐にしか言えないことだと思う。
みんなが知ってる、ジャニーズ事務所のアイドル。
嵐5人が歌って笑っている、その瞬間は、その瞬間だけはどれだけ嫌なことがあっても全部忘れられる。元気になれる。
そんな人がたちがこの世界にはたくさんいて、それが嵐が国民的だと言われる所以なんだろうな、とぼんやり感じました。
5人のパフォーマンスが終わって、しばらくは放心状態でした。
でも何か一つ私の中で心の整理ができた気がしました。
今まで嵐のファンであることは私の大事なアイデンティティの一つではあったけど、「嵐」自体が私の居場所で。
身勝手な考え方かもしれないけれど私の居場所はここだと思うことができました。
自分にとって嵐との思い出って宝物であって宝じゃなくて。貴重で稀な宝じゃなくて、個人の私有物としての宝物。私と5人の間に作った思い出は誰のものにもさせない。
誰にも否定させない、と。
悩み続けていたことは何も解決していないかもしれないけれどその日のパフォーマンスのおかげで何か憑き物がスッと取れたような気がしました。
あの発表があった時から、ふとした瞬間に嵐の「できるだけ」という曲の歌詞が頭の中を流れます。
変わっていくことを何故僕らは恐れるのかなぁ
変わらないものを笑うくせに
その部分だけが唐突に流れます。
「永遠に変わらないものなんてない」あの発表はその事実を突きつけてきました。
だけどそれと同時に変わらない物もあるということにも気づく事ができた。
私にとって嵐の曲ってかっこいい、優しい、歌詞がいい、楽しい…って色んな感情になれるものだけど、一番感じるのは”安心”なんだと思います。
至極当たり前のことですけど、ずっと変わらないんですよね。
どれだけ幸せな時も、寂しい時も、楽しい時も辛い時も彼らを好きになってからずっと聴き続けてきた
嵐の音楽はずっと変わらない。
音楽だけじゃない。彼らとの間にある私の思い出もずっと変わらない。
なんて。冷静ぶって綺麗ごと(全部本心であることに変わりはないけれど)ばっかり並べてきたけれど今めちゃくちゃ辛い。本当に辛い。しんどい
本当は、このブログを書き上げて穏やかに、静かに2021年を迎えたかった。でもダメかもしれない
5人のことを考えると涙が止まらない
彼らが何をするにも何に出るにも「活動休止前最後の」って枕詞がつけられることが増えて、今ちょうど”最後の”Mステが終わったところです。
もう、ただ泣くことしかできなかった。
正直、メディアや周囲の感傷的なムードに耐えられなくなったこともあった。
昔嵐のことが好きだったと名乗る人たちが辛い寂しいと嘆く様子を見て、今もずっと嵐を好きな人間と、今はもうそこまで興味がないと言ってる人間のしんどさを一緒にするな、なんて人の思いを丸ごと否定してしまうような醜い最悪な感情を抱いたこともある。泣きながら友達に連絡をしてその人を困らせたこともある。(ごめんね、いつもありがとう)
月並みでどこか薄っぺらく感じてしまう言葉だけど5人がいなければ今の自分はいない。
Mステの間に流れたパズドラのCM、起用された時からの総集編だった。
2020年に入ってから色んな番組で「嵐と共に振り返る日本の21年」なんて企画もあった。
長くはない自分の人生を振り返ろうとすると5人の姿はそこに絶対に”いる”
嵐と一緒に過ごしてきた時間があまりにも長すぎた。
あぁこの本屋でいつも嵐のCD予約していたな、学校の行きかえりはずっと嵐聞いてたな、めちゃめちゃ寒い冬にテンション上げようとして夏曲聞きながら帰ったら余計寒くなったな、この道歩いてる時にライブの当落でたんだよな、クリアファイル欲しくてこのコンビニでチョコめっちゃ買ったな、この子と仲良くなったのも嵐がきっかけだったな、、、
なんともない日常を過ごしているだけでもいろんな出来事が浮かんできます。
スーパーに行ったってドラッグストアに行ったって彼らはいるし、本屋に行ってもいます。
もちろんテレビをつけても絶対にいる。
ふと家の中を見渡しても沢山の写真やグッズ、が並んでるしタンスを開けてもあぁ、この服でドキドキしながら会いに行ったな、なんて。
あまりにも思い出が多すぎる
あの発表からずっと、前だけを見て今の嵐を追い続けようと思ってきました。「なんで?」「どうして?」という感情はもうないし、そこは自分の中で整理できたつもりです。
でも、もうここまで来たら全てを受け入れなくてもいいのかもしれない、そう思うようにもなりました。
2020年12月31日まであと数日。
ただ泣いて、あの時はこうだった、ああだった、楽しかった幸せだった、と過去を懐かしんでもいいのかもしれない。
辛い、寂しい、不安だ、嫌だという気持ちだってまだまだある。
でも仕方ないやん
だって嵐が大好きだから。
大好きで大好きで仕方ない。本当に好き。
今までも、これから先もそれだけは揺るがないし、この思いを譲る気もありません。
このままだと2021年に行けない気がして、今感じていることを書きなぐってきました。
もっと書きたいことがあったかもしれないし、無いのかもしれない。
いつかまた、あの発表から2年間のことを落ち着いてゆっくり振り返ることができるようになればいいな、と思います。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。ほんの少しだけ自分の気持ちの整理ができた気がします。