愛しき日々よ

いつまでも幸せ溢れて

2020年の終わりを見つめて その2

こういうことを表で言うのは最後にするので許してください。

 前回のはこれ

run2020.hatenablog.com

嵐のファンとしてのただの泣き言、自分語り、ポエム…それ以外の何物でもないです。

前回以上に自分のために書いている文章です。いつか冷静になった時に恥ずかしくなって消すんだろうな、ってことが容易に想像できるぐらいにはきっとポエムです。許してください。

 

誰に許しを乞うているのかは分からないけれど、これだけ保険を掛けたのでここから先は自己責任でお願いします

 

 

 

 

もう本当に辛い

2年前からなんとかして冷静で強いファンであろうとしてきたつもりだったし、そうなろうと必死に頑張ってきたつもりだった。

 

けどもう怖い、2021年が怖い。

 

前回のブログに「嵐のファンであることが自分のアイデンティティの一つだ」と書きました。

何を大げさな、たかが趣味の一つだろう。そう思われているのかもしれない。(別に解散するわけじゃないでしょ、いなくなる訳じゃないんだから、なんて言われた日にはさすがにぶっ飛ばす)

 

嵐は私の青春だった、そう語る人がいる。

その言葉に対抗するつもりは微塵もないけれど私にとって嵐は人生であり全てです。

何十年も生きてきた訳でもない若造が何が人生だ、と思われると思います。私もそう思う。

 

だけど嵐が私の全てだったことは誰にも否定されたくない。

そりゃ嵐と出会ってなくても適当に年を重ねてそこそこ楽しく生きてきたんだろうと思う。

でも嵐がいなければできなかったことや経験できなかったことがたくさんあるし、出会えなかった人もたくさんいることもまた事実です。

 

こうやって文字にした瞬間に空虚で表面的な思い出語りになってしまうのも辛いけど、自分だけが分かっていればそれでいい。

 

「嵐のファン」であるからこそ見ることができた景色、「嵐のファン」であるからこそ味わうことができる感動、辛いことも悔しいことも嬉しいことも楽しいことも幸せなことも全部「嵐のファン」であるからこそ得られた感情で。

それらが全部今の自分を形作っています。

彼らとの出会いが無ければ自分はいったいどういう人生を歩んできたのかと考えるだけでぞっとする。

 

HELLO NEW DREAMのCM("https://www.youtube.com/embed/gbK8lSMzrwg" )じゃないけれど本当に

「毎日どこかに、嵐がいた」んです。

 

テレビをつけても雑誌を開いても、音楽をかけても、ふと街中で顔を上げても、どこかに必ずいた嵐、

十数年間それが当たり前の日常だった自分にとって2021年を迎えることはただただ恐怖です。

 

 

 

VS嵐嵐にしやがれも終わった。

この期に及んでまだ来週には新春三つ巴スペシャル、TOKIO×嵐が待ってるんじゃないかと願っている自分もいる。

更新されることがないであろうTOKIO嵐のLINEアカウントもずっと消せないでいる。

 

つい数日前にテレビ誌を開いて嵐の正月特番特集が組まれていないことに大号泣したのにも関わらずだ。

 

 

ありがとう、楽しかった。という気持ちとまだまだ5人でいる姿を見たい(オタクの我儘だよ)、寂しい。という気持ちでいっぱいでどうしていいのか分からない。

 

 

 

取り繕っていても仕方ないのでもう少し自分の気持ちに正直になろうと思う。

 

私は潤くんのファンです。

ファンが不安なときはまっすぐな目で、言葉で「付いてきて」と寄り添ってくれる、プロのアイドルとしてどこまでも誠実で、熱くて(嵐のこれからのことを「俺は本当に愛するものを自分の手で殺そうとしてると思う」と語った時はその瞬間泣き崩れた)31日の大事なライブの時の自分の髪形をファンに選ばせてくれるぐらい優しくて(たった二日前のエピソードだぞ!?前髪おろすのとあげるのどっちがいい?って!!!優しいだろ?!!てか二択なのにコメント書き込む形式をとった潤くん可愛くないか?!!)、なによりかっこよくて!(世界一ホントにこれはもう絶対。世界一、銀河一。あのどれだけドーランを塗りたくっても主張を続ける凛々しい眉毛もめちゃくちゃ長くてふさっふさなまつ毛もシュッとした目も口元のホクロもパーフェクト。下界に間違えて舞い降りてきた天使)かわいくて!(何年か前まではえぇ~松潤?なんか怖そう、てか俺様そうなんて言ってる人たちも多かったけど番組で4人やよしむーにさんざんいじられてる姿やふとした仕草や表情を見て世界が潤くんの可愛さに気づき始めた節ある)

こうやってまた空虚な言葉を並べてしまっているけれど、そんな松本潤さんの演技も、ダンスも、歌も、笑顔も、パフォーマンスも、言葉も姿も、生き様も考え方も、全部全部大好きで大好きで。

生まれて始めて好きになった人が潤くんでよかった、彼に出会えて、彼のことを応援出来て、本当に幸せで。自分のことなんか好きじゃないけど潤くんのことを好きになった自分のことは結構好き。

本当に彼が大好きなんです。

 

でも、だからこそ。2020年の終わりが近づくにつれて不安なこともあった。

一人レギュラーの番組を持っていない彼は2021年以降何をするんだろう。私たちは彼の姿を見ることができるのだろうか。裏方に回ってしまうのではないだろうか。さっき来たFCのメール伝言板にお仕事情報ないの色々キた。

 

誰よりも嵐のことを、嵐のファンのことを思い、先陣きって様々なコンテンツを届けてくれている彼に、”嵐のため”に膨大な時間を割いている彼に対してそんな不安を抱いてしまう自分が情けなく感じることもあった。

 

どんなインタビューでも「2021年以降のことは考えていない、とりあえず今は最後の日まで悔いの残らないように走り抜けるだけ」と語っていた潤くん(熱いでしょ、めちゃくちゃかっこいい)

その言葉に少し寂しさを感じてしまったのも事実でした。

 

誰よりもファンに寄り添おうとしてくれる彼は、ファンのそんな不安もお見通しで、「引退はしないから心配しないで」とブログで語ってくれました。その言葉は何よりも嬉しかったです。

 

 

だけど気づいてしまった。

VS嵐の最終回では「松本潤のこれから、気になる人いるんだろうな」とパスを出した翔くんに「ちょっとゆっくりする」と答えた彼の姿。

 

私は松本潤のファンであるけれど、その前に5人全員のことが大好きで。いくら自担が活動を続けると言っても大好きな5人の姿を追うことができなくなる。その事実を改めて突きつけられました。

 

ファンに誠実な5人だけどその実態はどこまでも内側を向いていて嵐本人たちが嵐のことが大好きで。そんな姿が私達ファンも大好きで。

 

もうダメ。寂しい。どうしようもなく寂しい。長々と文字を連ねてきたけど結局はそこにしか到達しない。

 

そうはいってもあと数日で2020年の12月31日はやってくるし、年が明けたら明けたで寂しい寂しいとはいいつつも何となく普通に毎日を過ごしていくんだと思う。

めちゃくちゃ嫌だ。

 

気分を変えようと見始めたライブDVDでも結局は色んなことを思いだして泣いてしまう。

 

この文章の終着点は見つからないし、このままだと永遠に泣き言を言い続けてしまう気がするのでもう終わりにするけれど、ひとつだけ。

上にも書いたけど多分2021年以降嵐がいない世界でも私はなんとなく普通の日々を過ごすんだろうしそれなりに楽しんで生きていくんだと思う。嵐は私の人生だなんだと語っておきながらきっと何食わぬ顔して生きていく。

 


光り輝く9人の姿を追いながらも心の奥底にある少しの罪悪感はこれからも多分事あるごとに主張してくるんだろう。

 


だけど余りにもバカでかい声で主張してきて辛くなった時はゆっくりと過去を振り返って思い出に浸りたい。

 

 

 

好きな人たちに好きな人たちの影を重ねてしまうことがあるかもしれない。

 


だけど5人のことを自分にとってのヒーローだ、と語る彼がいるように私にとっても5人はヒーローだし大きな存在であることは絶対に揺るがない。

 


とりあえず今は31日のライブを全力で楽しんで、寂しい辛い大好きだと叫びつつもしっかり受け止めることができるように強くなろうと思う。